:森鴎外『雁』



  • 雁 (新潮文庫)

    雁 (新潮文庫)

  • 小生の勝手なアレから言わせてもらえば、
  • 森鴎外ってあまりインパクトがないのよね。
  • これは小生の印象だから、森鴎外フリークには申し訳ないんだけど。
  • 暇つぶしに『国語便覧』を読んでいて、
  • じゃあ何で森鴎外インパクトが無いのかというと、
  • 答えは実に簡単で、その経歴があまりに華麗すぎるから。
  • 模範的というか、つまり「神童」から「天才」を全うしたというか。
  • 明治文学のツートップとも言うべき夏目漱石は「修善寺の大患」のみならず、
  • 極度の神経衰弱と癇癪持ちは有名である。
  • 「たられば」を言うなら、鴎外が東大教授職を約束されたら、引き受けたと思う。
  • 病気によって夭逝することもなければ、絶望して自殺することのない鴎外は、
  • これも小生の勝手なアレから言わせてもらえば、
  • あまりに模範的なのである。
  • 漱石と鴎外は絶えず明治の二大文豪として比較されるが、
  • その違いを読者の態度から論じているのはドナルド・キーンだ。

 「漱石の文学は、教養の度を問わず広い読者層に迎えられてきた。漱石を仰いで文豪と呼んだのは、文学が人間の理想と、その道理に向かうための苦しみを体言していなければならぬと考えた人々であった。それに反して鴎外の文学は、職業的な作家や知識人によって崇拝される。彼らは鴎外の晴朗でアポロニッシュな態度と、日本の伝統に対して払った深い敬意とに博たれて、鴎外の前に拝跪するのである。」ドナルド・キーン『日本文学史 近代現代篇2』217頁 (太字は小生)

 作家の立場からドナルド・キーンの論考をプッシュしているのが三島由紀夫

曰く、


 「(『寒山拾得』は)現実を残酷なほど冷静に裁断して、よけいなものをぜんぶ剥ぎ取り、しかもいかにも効果的に見せないで、効果を強く出すという文章は、鴎外独特のものであります。(中略)鴎外は人に文章の秘伝を聞かれて、一に明晰、ニに明晰、三に明晰と答えたと言われております。(中略)鴎外の文章をアポロン的文章とすれば……」三島由紀夫文章読本』(文庫)52-57頁 (太字は小生)

  • 「漢文的教養の上に成り立った、簡潔で清浄な文章」(三島)は、
  • 鴎外を大衆化させなかったとも言える。
  • ゆえに、漱石は読んでも鴎外を読まないってんは、極々フツーのことなのだ。
  • また前置きが長くなってしまったが、
  • 森鴎外の『雁』はそんな鴎外の作品の中にあって、名作中の名作だと思うわけよ。
  • ジェンダー的な描写の問題、特に妾のお玉の表象については、佐伯ちゃんが指摘しているが、

 「「雁」を読み返すたびにいつも思うことであるが、鴎外の文体ほど、日本のトリヴィアルな現実の断片から、世界思潮の大きな鳥瞰図まで、日本的な小道具から壮大な風景まで、自由自在に無差別に取り入れて、しかも少しもそこに文体の統一性を損ねないような文体というものを、鴎外以後のどの小説家が持ったかということである。」三島由紀夫『作家論」(文庫)20頁

  • と最上級の賛辞を記している。
  • この作品の読みどころは、ものごとに他力が働き、
  • 当人たちは、その他力に(当然のことながら)気づかず、物語が終焉する点だ。
  • それを鴎外は、
  • 雁:岡田
  • 紅雀:お玉
  • 蛇:末造
  • という3羽(匹)のシンボリックな動物に喩えてみせた。
  • (佐伯は「周知のように、蛇は性欲の対象」と三島、キーンと解釈を異にしている。)
  • まあ、森鴎外を扱った研究書が小生はあまり持っていないからこれぐらいで勘弁。
  • あと、この『雁』は女性、つまりお玉のオナニーシーンが有名である。

朝目を醒まして起きずにはいられなかったお玉も、この頃は梅が、「けさは流しに氷が張っています、も少しお休になっていらっしゃいまし」なぞと云うと、つい布団にくるまっている様になった。教育家は妄想を起させぬために青年に床に入ってから寐附かずにいるな、目が醒めてから起きずにいるなと戒める。少壮な身を暖い衾の裡に置けば、毒草の花を火の中に咲かせたような写象が萌すからである。お玉の想像もこんな時には随分放恣になって来ることがある。そう云う時には目に一種の光が生じて、酒に酔ったように瞼から頬に掛け紅が漲るのである。

  • 「教育者は〜」ってところからがあまりに唐突で、指摘されるまでわからなかったが、
  • 「目を瞑って岡田の事を思うようになった」等等の表現を勘案すると、
  • なるほどなと思う。