:思ったほど暑くない
よくある鼻毛の話
- 自分でいうと右、世間様から見ると左の鼻から抜いた鼻毛がここにある。
- 暇だとついつい抜いてしまう傾向にある。
- ところで、髪の毛はその太さや硬さが各々大差ないと思う。
- もちろん産毛は別にして。
- ただ、鼻毛って極端に太い、大物が抜ける場合がある。
- あるでしょ――?
- 今、ここにある鼻毛もまた、他のものと比べて群を抜いて太くて硬い。
- その硬度は毛というより、むしろ化学繊維に近いものがあるなぁ。
- これが髪の毛の生え際と異なり、他の細い鼻毛と同じ毛根から生えてくるから不思議だ。
- これぐらいの大物になると、引っこ抜くときに「ブチッ!」って結構な音がする。
- そして、それなりの痛みを伴う。
- よくある鼻毛の話。
宇多田ヒカルという“出来事”は一体何だったのか?
- たまたま2冊の本に目を通した。
- 1冊は内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(文庫版)
- もう1冊は菊池清麿『日本流行歌変遷史―歌謡曲の誕生からJ・ポップの時代へ』
- まず、後者におけるビートルズ来日にかかる記述。
昭和四十一年六月、ビートルズが来日した。ビートルズのあたえた衝撃は大きかった。ビートルズの来日は、日本のポップスを変えたといっても過言ではない。ビートルズがもたらした8ビートは、旧来の音楽価値を根底からひっくり返した。(中略)リンゴスターがドラムスでタイトに打つ安定かつ洗練された8ビートは衝撃的だった。それまでとはまったく異なるフィーリングだったのだ。そして、彼らがもう一つ見せたのは、バンドによる自作自演だった。自分たちで作詞・作曲をして演奏し歌う。日本の若者は、ビートルズに熱狂し興奮した。(197-198頁:太字は小生)
- 一方、その当時における内田の所感。
ぼくたちの世代は六十年代に中高生でした。その時代は今から回顧するとたとえば「ビートルズが一世を風靡した時代」というふうに言われます。でもぼくははっきり覚えていまずが、ぼくのいた東京の中学で同学年でリアルタイムでビートルズを聴いていたのは四、五十人の中にほんの十人ほどしかいませんでした。(中略)後の人たちはジャニーズとか舟木一夫とか坂本九とかを聴いているか、ポップスにぜんぜん興味のない人たちでした。ローリング・ストーンズやキンクスを聴いているのはもう学年に二、三人というのが六十四年の東京の中学生の音楽的水準だったのです。それがどうでしょう。ロック・ミュージックが六十年代の若者文化のランドマークに認定された「後になって」、同学年の諸君が次々と「私は中学生の頃ビートルズに夢中だった」というふうに回想し始めたのです。これは明らかに模造記憶です。(89-90頁:太字は小生)
- 『日本流行歌〜』の記述は誤ってはいないだろう。
- というか、内田がいうように、ビートルズの若者に対する影響ははいわば「定説」となっている。
- が、一般化出来るかというと、内田の回想によると難しそうである。
- このコンテクストを解釈すると、
- 音楽好きにとってはビートルズの出現は衝撃だったが、
- そうではない人間にとっては、少し変わった音楽が入ってきたという印象でしかない。
- と言ったところだろう。
- 80年代の若者はYMOらのテクノポップに心酔した、という言説は繰り返され、
- 大多数の人々にとって、大した問題ではなかったという内田の感覚は納得できる。
- ただし、
- 宇多田ヒカルの場合は、ちょっとというか、かなり事情が異なる。
- 宇多田と同じ年齢の小生にとって、それはリアルタイムの事件であったし、
- ビートルズや全共闘のような「偽造された共同的記憶」(内田)ではなかった。
- 少なくとも宇多田は大多数の同年代の関心事であったし、
- 同年代のみならず、国民的な関心事だった。
- (じゃなきゃ、800万枚もCD売れないよww)
- 長い日本の音楽史にあって、宇多田の登場は直近の出来事である。
- 先の『日本流行歌〜』の中でも、エピローグに入る少し前に、申し訳程度の記述があるだけだ。
- 彼女が個人としてではなく、社会的コンテクストにどのように解釈され位置づけられるのか、
- 小生は非常に興味がある。
- 本格的な論考が出たらゼシとも読んでみたい。
「COLORS」
- ここまで言っておいて何だが、小生は特に宇多田のファンではない。
- CDを全部持っているわけでもないし、ましてやコンサートに行くこともない。
- ただ、今は大変便利な世の中であるから、体系的に彼女の音楽を聴くことは可能だ。
- 小生の印象批評で00年代の“金字塔”としているのがこの「COLORS」だ。
- 初期の頃は、要するに少女と大人の狭間で揺れ動く(もしくは燻る)メンタリティーという、
- それまでに歌謡曲から脈々と受け継がれてきた文法に則った歌詞に
- 「黒人のようなバイブレーション、天性のリズム感・スピードと英語音楽の尖端的要素によるパフォーマンスは、今までにないものであった『日本流行歌変遷史』297-298頁:太字は小生)」から、
- 「日本の音楽業界を驚愕させた」(同前)
- というのが当面の解釈だったけれども、
- 小生は「COLORS」を中高生独特の不安というよりむしろ、
- 異様なまでの人格的精神不安を感じた。
- テレビに出たときの彼女の言動を具に観察してみると、
- この推量はあながち間違っていないと感覚的に理解できた。
- 簡単に言えば、病的、すなわち「キチガイ」なのだ。
- 病的な歌詞もしくはリズムの音楽は、アングラ世界で現れては消えを繰り返してきた。
- ただ、宇多田はそれを地上に放り投げた。
- そういた意味で「COLORS」で“金字塔”は打ち立てられた、と小生は思う。