:藤沢和雄、覚書
……少なくとも私の馬を見る能力はゼロに等しい。 藤澤和雄『競走馬私論』
- 藤沢和雄、
- 小生は“敬愛”を込めて「KAZU藤沢」と言っているけれども、
- この人の性格、ある種異常者の域に達していると思う。
- 競馬界のみならず、これほどの天邪鬼はそうはいない。
- 平常心を装っているようで、勝つことへの執念は粘着気質を超過し、粘着変質者だ。
- あっ、小生はそんな「KAZU藤沢」が好きなんだけどww
- 「KAZU藤沢」はこんなことを言っている。
何よりも先に厩務員たちに言ったのは「馬には怒るな、優しく接しろ」ということだった。(中略)好きではないところに連れて来られて、かなりハードなトレーニングを課せられている。そのうえ怒鳴られたり、乱暴に扱われたりしたのでは人間でも不機嫌になる。子供と同じで、教えるべきことは教えなくてはならないが、その過程でストレスを溜めさせてはならない。 前出同書
- 「KAZU藤沢」がどんな時でも馬を労うのは、こういったポリシーがあるからだろうと推察できる。
- すなわち、「ハッピーピープル、メイク、ハッピーホース」の信念だ。
- ただし、そんな「KAZU藤沢」は時として、鬼になる。
- 一生懸命走らなかった時や同じ失敗を繰り返した時だ。
- ペルーサがそう。
- ダービーは出遅れたけれども、
- 毎日王冠に際してはゲート練習を全くと言っていいほどしなかった。
- これは先に引用したKAZUの、如何に「ストレスを溜めさせ」ないで、
- 平常心で以ってレース臨ませるか、というポリシーに則っての判断だったのだろう。
- が、その毎日王冠で痛恨の出遅れ。
- ここに粘着変質者としての鬼が「KAZU藤沢」に憑依する。
- つまり、ゲート練習の鬼に。
- 天皇賞前の記事――少なくとも小生が眼を通したものに関しては――ゲートに関することのみであった。
- KAZUのインタビューもゲート中心の質問。
- そして、レース当日。
- 「KAZU藤沢」の執念は頂点に達する。
- すなわち、最も近い位置から、ペルーサを見守る≒負荷をかけることである。
- ↑ファンファーレが鳴り終わると同時に、こちらへやってくる「KAZU藤沢」。
- ↑躊躇いは微塵もなく、ここに俺がいて当然とばかりに馬場内に入る「KAZU藤沢」。
- ↑世界の「KAZU藤沢」もさすがに落ち着きがなくカメラを2、3度横切る。
- ↑愛馬ペルーサがゲート内で立ち上がり、「KAZU藤沢」の背中に緊張が走る。
- 「こんなことならもっと早い時期に練習すればよかったかな?と思うくらいすんなり出てくれています」ってインタビューで答えたけどww
- ↑ミドリムシがはけた後も、馬場内で仁王立ちの「KAZU藤沢」。
- ↑ゲートの下から覗いて、ペルーサの出遅れを確認した「KAZU藤沢」。
- ↑立ち去る「KAZU」
- いろんな意味でJCが楽しみになってきた。