:綿矢りさに関する覚書
巨匠の作品は、星であり、私たちのまわりを昇ったり沈んだりする。だから、いまは沈んでしまっている偉大な作品にも、かららず時がめぐってくるだろう。 ウィトゲンシュタイン『哲学的断章』よりMS 111 194:13:0:1931
- 綿矢は熱狂的な支持者がいる一方で、アンチも非常に多い作家のひとりである。
- 特にネット上には、賛否が飛び交っている。
- ただ、それは流行作家の宿命とも言えるだろう。
- そこには、同年代の「羨望」と「嫉妬」が包含されており、
- 作品よりも綿矢本人に向けたれている点は、不幸というべきであろう。
- 小生の話で恐縮だが、
- このところ、太宰治の作品を体系的に読む機会に恵まれた。
- 綿矢の太宰好きは周知の事実として有名である。
- 手ものにあるこの雑誌は、『文藝』のコピーだと思うのだが、
- 「保坂和志×綿矢りさ デリート・キーでサーッと消していく快感」と
- 題された対談の中で、
- 保坂:いちばん好きな小説家は誰ですか?
- 綿矢:この前、保坂さんに「だめだよ」と言われたんですけど、太宰治がいちばん好きでです。
- 保坂:そんなこと言ったんだ(笑)。
- 綿矢:ええ。「『おさん』はよかったけど。ほかはあかん」て言うてはった。
- 保坂:そうか。変な答え過ぎて忘れてたんだ。だめだよ、太宰なんて(笑)。
とどきますか、とどきません。光かがやく手に入らないのもばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。(綿矢)
- 例えば、太宰の『燈籠』の冒頭。
言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。
- 『善蔵を思う』の場合。
――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
- 『千代女』の場合。
女は、やっぱり、駄目なものなのね。女のついでも、私という女ひとりが、だめなのかも知れませんけれども、つくづく私は、自分を駄目だと思います。
- このあたりは、リズムが非常に似ている。
- 小生は似ていることを非難するつもりはない。
- むしろ、太宰の出だしは太宰が最も神経を注いだ箇所であり、
- 綿矢はそれを自分自身で消化しているのだから、大したものである。
- ここからは、少し飛躍するのだけれども、
- 綿矢に対して好意的な作家(評論家を含む)は、太宰に対しても好意的である。
- いや、太宰に対して好意的である作家だからこそ、
- 綿矢のリズムを理解できると言い換えてもよい。
- その最右翼(いや、最左翼)は高橋源一郎だろう。
- 高橋は、著書『文学がこんなにわかっていいかしら』の中で、
- 「今月は太宰くんが一番おもしろかった」という章で、
- 『トカトントン』を絶賛している。
- 日本文学屈指の読み手である、と小生が信じて疑わない高橋は、
- 著書『ニッポンの小説百年の孤独』の中において、
「こんな若い時(小生註:17歳)から、こんなに日本語を上手に使うなんて、なにかひどい病気にかかっているのではないだろうか」
- と、高橋らしい表現で綿矢を賞賛しているし、
- 『インストール』の解説においても、最大級の賛辞を送っている。
- (一方で、石原慎太郎は太宰の作品を軟弱な若者の体現していると厳しく批判しており、綿矢の芥川賞受賞に際しても、「それにしてもこの現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか」と全く理解を示していない。)
- で、今回の新作のストーリーはというと、
- 少女マンガチックで、これまた賛否が分かれるところだが、
- (純文学とライトノベルの境界線が曖昧だ等)
- 小生は結構好きだけどね。
- 最後に高橋源一郎がこの作品に対してつぶやいた内容をコピペしておく。
ところで、綿矢りささんの新作『勝手にふるえてろ』を読んだ。中学生時代の片思いの相手が好きすぎて26歳まで処女だった「おたく」会社員の女の子の物語。一見普通の恋愛小説だが、もしかしたらものすごく変わった小説なのではないか。綿矢風比喩は健在。いままでで一番本人の「影」が出ているかも。(http://twitter.com/takagengen/status/22398082468)
- おしまい。