その「気持ち」を忘れずに
- 母の兄、すなわち伯父が死んだのは、土曜日のことだった。
- 自宅――と言っても、祖母、つまり伯父の母の家――で死んだから、
- 警察の現場検証があった。
- 以下に小生の所感を勝手に記す。
- 実にあっけない”終戦”であった。
- と言うのも、肺を中心とした呼吸器の機能低下が始まったのが約2年前。
- そこから、3ヶ月単位でパタパタパタと悪化していった。
- 「トイレに行くだけで息が切れる」と言いはじめてから、自発呼吸が不能になるまで、
- 小生の記憶では3ヶ月もなかった。
- 家に酸素ボンベが散乱しており、その酸素を安定的に供給する機械も、早々にデュアル体制になった。
- さまざまな治療や新薬を試したらしいが、
- 結果的に言えば、延命にもならなかったと言える。
- 癌ではなく、慢性的な呼吸器疾患(正式名称は忘れた)だったけれども、
- 非常に難しい、完治はあり得ない病気だったと聞く。
- そのような状況下であっても、ギリギリまで抵抗した本人にとっては無念の一言に尽きる。
- じゃあ、なぜ伯父がこのような病気になったのか?
- ここからは小生の推測であり、何ら因果関係を証明するものではないが、
- 石綿、すなわちアスベストの影響だと思う。
- もともと伯父は左官であり、当時は石綿が「奇跡の鉱物」呼ばれていた時代だ。
- 当然、現場には石綿があったと推察される。
- ただし、アスベストの潜伏期間は長く、15年〜50年と言われている。
- また、それまで健康だった伯父の症状が、ドミノ倒しのように悪化したのも、
- (7)アスベストが原因で発症する疾患に特有の症状はあるか?
- 発病し、さらにある程度進行するまでは無症状のことが多いと言われています。
- という厚労省の案内と合致する。
- その影響は、まさにこれから出てくるだろう。
- 意気消沈の親族を前に、警察と医者が説明をする。
- 曰く、「事件性は認められない」
- 曰く、「医者の見解に異議があるのなら、是非とも解剖するべきだ」
- 曰く、「解剖しないという選択肢を選ぶのであれば、今後司法へ訴えないという意思表示だ」
- などなど。
- とてもじゃないが、それら重大な意思決定を持ち合わせている人間はいない。
- 小生はどちらかというと非情な人間であるから、
- 事後処理をスムーズに行うため、メモを取りながら聞く。
- 30分くらい後に、原付をちんたら走らせ、病院へ「死亡診断書」を取りに行く。
- 伯父の母、つまり小生の祖母がその病院に隣接する養老施設に入っているため、
- 週1回、その病院で診察を受けている関係上、
- 息子死亡の報は当面伏せるよう、くれぐれも注意するように伝える。
- 息子が死んだという事実の直面した齢92の祖母は、
- 気が違ってしまうというか、壊れてしまうかもしれないという懸念があったからだ。
- 祖母への伝達は親族各位に伺って最終判断しればよいと思った。
- ローソンで「死亡診断書」をコピーする。
- だって、役所に出したら戻ってこないもんね。
- そのまま警察署へ行って、その「死亡診断書」を提示する。
- むこうも仕事をした以上、報告書にそれを添付して完了ということだろう。
- 組織で働くのは辛い。
- さて、伯父は自分の死をある程度予測できていたのだろうか?
- 当然、これも小生の推測になるが、「できていなかった」と思う。
- 死ぬ前日に、母に対し庭の草むしりをするように指示すると同時に、
- 今後の治療をどうしていったらよいか、後日医者に相談しようとしていたらしい。
- 同時に、新薬を採用してもなかなか良化してこない自分の肉体に苛立っていたらしい。
- もっとも、良化する余地は皆無に等しかったわけだが……。
- キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross:1926-2004)の名著、
- 『死ぬ瞬間 死とその過程について』(On Death and Dying,1969)には、
- 死の受容段階を以下の5つのステージに分別した。
- 1.否認:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
- 2.怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
- 3.取り引き:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階
- 4.抑うつ:なにもできなくなる段階
- 5.受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階
- 伝聞で推測する限り、伯父は1〜2の段階であり、
- 医者曰く、「自分の身体の現状を受け入れられない状態」ということであった。
- つまり、病気の進行があまりに速く、
- 他方、それを受け入れるスピードは生来の頑固さ故、非常に遅かった。
- したがって、自分が死と隣接しているとは到底思えなかったのだろう。
- ってなことを、棺桶に納められる伯父を見ながら、ぼ〜っと考えていた。
- 孫たち、つまり小生の姪孫連中はその周りをきゃっきゃきゃっきゃ言って遊んでおり、
- 小生はそれはそれでいいと思った。
- 葬式で坊主がお経を読むと、皆泣いていた。
- 小3のガキから中2のおマセさんまで。
- その「気持ち」。
- 人前で泣くのが恥ずかしいと思われる年齢であっても、
- 自然と涙が出てしまう、その「気持ち」。
- それが何よりも大切ではなかろうかと。
- 受付をしていた小生はその光景を見て、人間の内なる情動を見た気がした。
母恋し夕山桜、峰の松 泉鏡花