:新藤谷美和子論――あるいは『ゆきゆきて、美和子』
出来得れば、少年の門出から剛毅におのれの心身のバランスを統御出来るに越したことはない。そうしてその吹きつのってくる過剰な活力を、人間の調和的な生存の幸福の側にねじめけ得る人は仕合せだ。 檀一雄『火宅の人』
何が「新」なのかはわからない――。
藤谷美和子は俗に“プッツン女優”と呼ばれている。その思考回路、及び、それに伴う言動は地上波に乗せることが不可能なため、最近ではとんと見かけなくなった。かく言う小生、藤谷美和子はかなり好きな部類に属する。たぶん中学の頃からだ。「時代の最先端を行く芸能人」とは一般的に、ファッションやメークなど我々の物欲を煽動する存在だが、藤谷の場合は「思考の最先端を行く孤高の芸能人」なのだ。
藤谷を“プッツン”と言ってしまえばそれで終わってしまう。そこで藤谷の仕事を省みてみると――その複雑な精神構造を切り離しても――非常に特異で稀有な存在であることに気づかされる。それは以下の3点に集約される。
1:アイドルとして成功している点。
2:女優として成功している点。
3:歌手として成功している点。
Wikipediaを参照してもらえればわかるように、芸能界入りは12歳。知名度を上げたのは15歳時に出演した『ゆうひが丘の総理大臣』である。主演が中村雅俊である地点で、何か香ばしい時代背景を感じる。女優としては92年、つまり藤谷30歳の時に出演した『女殺油地獄』で日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、結果、最優秀賞を受賞している。この年は相手に恵まれた感は否めない*1。が、84年、藤谷21歳の時に出演した『海燕ジョーの奇跡』では主演を張り、主演女優賞にノミネートされた。この年には最優秀主演を獲得したのは常連の吉永小百合。他、夏目雅子、松坂慶子*2、宮本信子*3とそうそうたるラインナップであった*4。といわけで、藤谷は百戦錬磨の連中を相手に互角でやりあっていたのだ。
今日、最初に挙げた森田芳光の『それから』は作品賞、監督賞、主演男優賞(松田優作)、助演男優賞(小林薫)と4つの部門でノミネートされたが、主演女優の藤谷の席がなかった。しかしながら、92年に受賞した最優秀助演女優賞も伏線でもあるかの如く、夏目漱石が作り上げた地味ながら魅惑的で悪魔的な女、三千代を演じ切った。
ちょっと1〜2のアイドルから女優についての仕事に構い過ぎた。
3.の歌手について。これは誰でも知っている『愛が生まれた日』である。先刻発売さて、好評の『R35』にも収録されている定番のデュエット曲だ。小生のメディアプレイアーにも入っている。信頼のおけないオリコンによると、累計132万枚だそうである。94年はまだ音楽バブルは続いており、相手がミスチルをはじめ、B’zとか中島みゆきあたりの名が連なる(詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/1994%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD)。
ここからは少し違った角度、具体例を挙げて藤谷の仕事の特異さを見ていこう。
条件1と3を共に含む存在はけっこういている。所謂アイドル歌手といった連中だ。代表格は百恵ちゃんと聖子ちゃんである。しかし、彼女たちにとって女優業は副業であり、その作品は延長線上の副産物でしかない。要するに、「百恵ちゃんを観るために映画を観る」という客をターゲットにしているのは周知の通りである。
次の条件、すなわち1.2を含む存在を考えてみると、これがなかなか悩ましい。よく言われるように、アイドルから女優への脱皮は困難で、アイドルがごまんといるのに、1.且2.の存在は極端に少なくなる。当時「アイドル」という言葉があったのかは生まれていないからわからないが、吉永小百合がパイオニア的存在だ。そして、その流れを正統に継承したのは宮沢りえしか見当たらない。で、ここが肝心なところで、宮沢りえは3.の歌手業を小室哲哉プロデュースで敢行しているのはあまりに有名。
を見れば限界だったことに気づく。もっとも、この不安定な音程がたまらんが。
というわけで、1.2.3.の全ての条件を満たす存在は、差し当たり、ミポリンと篠原涼子しか見当たらない。ただし、ミポリンの歌、及び演技はお世辞にも上手いと言えない。篠原はドラマの分野で活躍こそすれ、アカデミー受けする映画の出演は目下のところない。
藤谷は、そう考えると、芸能においてオールマイティーな活躍を見せていた。加えて、その代名詞でもある“プッツン”というオプションまで装備し、その存在自体がモンスターなのだ。
「結婚しないと離婚できない」。婚約時に残した藤谷の名言である。その思考は常に先へ先へと突進し、常軌から逸脱していくようにも思える。対岸へ行ったりきたり出来れば一流。戻って来られなければ単なるキチガイ。しかしながら、普通の人間ならば、最初からそんな綱渡りはしない。したいわけでもないのに、せざるおえないのが藤谷美和子の藤谷美和子であり続ける理由である。
※本エントリーは、平成19年10月に発表したものを加筆・修正致しました。