:浅野いにお『虹が原ホログラフ』の研究ノート1
- 浅野いにおの『虹が原ホログラフ』は、難解とされている。
- 確かに、1回読んだだけでは、ストーリー自体が繋がらず、
- その複雑なプロットと時制の交錯よって、頭がコンフューズするのは必至だろう。
- ただし、賛否はあるものの、素晴らしい作品だと言う他ない。
- こういったある種不思議な、またさまざまな解釈が可能な作品にあっては、
- 我々読者はどうしても「謎解き」に終始してしまう。
- まあ、それもよかろう。
- 本作品に関して、人物ごとにまとめたのが、
- http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2642.html
- 小生が思うに、管理人はかなりの「読み手」だ。
- 読者が必ず抱くであろう「謎」を、ほぼ解決に導いている。
- 一方、小生は人物ごとではなく、「読者が受ける印象」、
- すなわち「受容体としての読者」に終始し、順を追って検証していきたい。
- なぜ、ここで受容理論を用いるかというと、
- この『虹が原ホログラフ』は、ヴォルフガンク・イーザーが言うところの、
- 「空所」を読むことを強いるからだ。
- つまり、よくわからない断片を繋ぎ合わせて、予測しながら読まなければならない。
- 小生は、「内包された読者(=der implizite Leser)」にはなりきれないが、
- あたかも初見であるようにテクストと向き合い、
- この不思議で魅力的な本作を分析する。
- 要するに、すごく暇だってことよww