3.パドック派を気取る連中の鼻をへし折る




ひとは、信ずべき対象があるから信じるのか。それとも、信じようという意志があるから信じるのか。 澁澤龍彦『偏愛的作家論』


 小生は馬体を見て良し悪しの判断をする連中を、全然信用していない。なぜなら根本に「わかるわけがない」という考えがあるからだ。幼い頃から競走馬を見てきたとか、競馬関係者として長年馬に携わってきた玄人でさえ、馬体だけで走るか否かを判断することは難しいと聞く。調教師が「馬体に惚れ込んだ」として期待していた馬が、全く走らない例なんてごまんとある。場体の形状、あるいは毛色等の「好き」「嫌い」はあり、それは素人でも判断できる。いや、「判断」じゃなく、単なる「印象批評」だけれども。小生の場合も、「好き」「嫌い」はあり、毛色でいうと栗毛や青鹿毛がよく見え、具体的にいうと、牡馬ならマチカネタンホイザスペシャルウィーク牝馬ならチョウカイキャロルシーザリオあたりである。馬っぷりの良さなら、トウカイナチュラルトウカイテイオートウカイオーザトウカイエリートら)のファミリーは皆筋肉隆々で素人目にも凄味を感じるが、競走馬の能力とは別である。そういうわけで、小生は馬体の良し悪しなんて判断できないという前提に立ち、したり顔で指名馬の甲乙をつけている連中を徹底的に批判する。だったら、調教師になればいい。